平成25年7月作成
○日蓮宗について
■はじめに
仏教用語をあまり使わず、できるだけ簡単に、日蓮宗のエッセンスをお伝えしようと書いています。説明が足らず、語弊がある部分があるかもしれませんが、一般の方に大まかなことを理解してもらうためのコラムと思ってご覧下さい。
■日蓮宗 宗旨
○宗祖…日蓮聖人
(貞応元年(西暦1222年)2月16日~
弘安5年(西暦1282)10月13日、61歳)
「法華経」を命を懸けて信仰し、弘め、この国を安寧にすることを目指して、その生涯を送られました。
そして、その過程で受けた多くの迫害を乗り越えることで、「法華経」の真実性を、自らの身命をもって証明されました。
○開宗…建長5年(西暦1253年)4月28日
日蓮聖人は、鎌倉、比叡山、奈良、高野山などでの長きに渡る修行、勉学の末、「法華経」こそが、末法の時代(仏法が正しく行われない時代、平成の今も末法の時代)に相応しい教えであることを確信されます。
それから、故郷(千葉県安房小湊)に戻られ、出家の地「清澄山」の旭ヶ森で、太平洋から登り来る朝日に向かって、初めてお題目「南無妙法蓮華経」をお唱えになります。日蓮聖人、32歳の時でした。
「法華経」によって人々を、国を救うため、「お題目・法華経」を弘めていくことを誓われたこの日を「開宗」の日としています。
○総本山…身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)
山梨県にあります。弟子・信徒の育成のため、晩年(53歳~61歳)をお過ごしになりました。お寺の近くには、日蓮聖人のご遺命に従って、お墓が建てられご遺骨が納められています。
○御本尊…久遠実成の本師釈迦牟尼佛
(くおんじつじょうのほんししゃかむにぶつ)
法華経如来寿量品第十六において、お釈迦様は、始めの無い遠い遠い昔に成仏した仏陀(ブッダ、悟った者)であり、永遠の存在であることを明かされます。インドのお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)は仮の姿であるとも。
この永遠のお釈迦様を「久遠実成の本師釈迦牟尼佛(以降「本佛」と称します)」といいます。この本佛は、一切衆生(すべての生きとし生けるもの)を成仏させようと誓いを立てられ、いついかなる時も、今この時も私たちの傍にいて、救おうとされ続けています。私たちが、この「一大事」に気付かないでいるだけです。この”気付き”は、以下の「お題目」をお唱えすることに繋がっていきます。
非常にファンタジックに想われるかもしれませんが、この本佛は、もはやこの世界を取り巻く「真理そのもの」と一体と捉えると、いくぶん理解してもらいやすいかもしれません。
この本佛を「本門の本尊」といい、以下の図のように、本佛・お題目を中心に法華経信仰による救済の世界観を示されたのが「大曼荼羅御本尊(だいまんだらごほんぞん)」です。
(大曼荼羅御本尊)
○経典…妙法蓮華経(法華経)
私たちがよりどころとしている経典です。経王とも呼ばれるお釈迦様がもっともお説きになりたかった教えです。
この点に関して少し触れてありますので、コラム「お経とは」もご覧下さい。
・二乗作仏(にじょうさぶつ)
→一切衆生がすべて成仏できるという教え
・久遠実成(くおんじつじょう)
→上述の「御本尊」の項目を参照して下さい
・少欲知足(しょうよくちそく)
→欲を少なくして、足りていることを知る
・但行礼拝(たんぎょうらいはい)
→他者に対し、常々敬いの心をもって接する
・菩薩行道(ぼさつぎょうどう)
→利他(他への施し)の行い
などについて説かれています。
○お題目…南無妙法蓮華経
「妙・法・蓮・華・経」という5文字に、妙法蓮華経という経典の全て、久遠の本佛の思いの全てが収約されていると捉え、この全てに南無(帰依、身命を捧げて信仰する)するということです。
少々荒っぽいですが、理解を助けるためにあえて表記すれば「久遠実成の本師釈迦牟尼佛(本佛)=(南無)妙法蓮華経=この世の真理(救済・成仏のための行動規範も内包する)=お題目」ということになります。
そして、このお題目を口で唱え、心に留め、この世界で菩薩行を実践していくことで、末法のこの時代でも救済される、成仏できると、日蓮聖人は説かれます。口と心と身と全てで”唱える”お題目であることが肝心です。
○教義
一言で言いますと、久遠の本佛、法華経の全てが収約されたお題目「南無妙法蓮華経」を唱えて、現実から逃げずに強く生きていくことの大切さを説かれた日蓮聖人の教えに導かれ、私たち自身が信行に励み、この教えを弘め、実践していくことで、全ての生きとし生けるものの平和と幸福を実現していくという教えです。
お題目を唱え、実践的に生きていくとき、永遠のお釈迦様(本佛)がそばにいて私たちを見守り、みな平等に成仏することを保証して下さっていると観じることで、大きな安心(あんじん)が得られます。
実践的に生きるとは、法華経に説かれるように、自らよく反省し(懺悔)、欲を少なくして足りていることを知り(少欲知足)、他者に対しては敬いの心を持って接し(但行礼拝)、他者の喜び・苦しみを自分の喜び・苦しみと受け止め、他者への施し(菩薩行道)に努めて生きるということです。
成仏の保証により安心し、個々人が実践的に生きていくとき、あの世ではなくこの世が、全てのものにとって平和で幸福な世界=浄土=仏国土に変わっていきます。一個人の救済ではなく、全体の救済が目指すべきところです。
まずは身近な夫婦や親子などの家庭からですが、その幸せの輪を友人知人へと広げ、より広い地域、国、世界へと広げていけるように努めなければなりません。
といっても、個人主義・自分勝手が当たり前になり、不平等がまかり通り、拝金主義の世界において欲をむさぼっている現代で、一個人が”あるべき生き方”を実践するのは、大変困難なことです。
それでも、私たちは良き未来、”あるべき世界”を目指して生きていかなければなりません。あきらめたらそれで終わりです。たとえ一人であっても実践していくことに意味があり、一人でも多くの人に実践してもらえるように働きかけなければなりません。
大きな壁を前にして、時に目標を見失い、心が折れそうになることもあります。そこから立ち上がる術が、何度もお題目をお唱えするということです。芯がぶれず、ひたすらに実践していけるのなら、自身に向けたお題目は一度唱えるだけで十分です。人は弱く、そうはなかなかいきません。何度も自分を省みてお唱えし、この想いを周りに弘めていくために、祈り、願って、また何度もお唱えするのです。
とはいえ、一人ではどうしても弱くなりがちです。異体同心、目指すべき目標に向かって生きる「よりどころ」となり、「同士・仲間」となるのが、お寺・お坊さんであり、お仏壇・ご先祖様です。
お寺・お坊さんは、ともに苦楽を分かち合い、ともに実践的に生きようとしていることを実感する「場」「者」であり、お仏壇・ご先祖様は、過去の恩を知りその恩に報いて未来をより良くしようと誓う「場」「者」なのです。
本佛の保証を信じ、一人ではないことを実感し、全ての平和と幸福に向けて、口と心と身でお題目を”唱えて”、日々怠らず精進していきましょう。
○その他
日蓮宗と同じように、法華経を信仰し、お題目をお唱えする宗派は、ざっと挙げても、本門佛立宗、法華宗諸門流、日本山妙法寺大僧伽、日蓮正宗、創価学会、顕正会、日蓮本宗、顕本法華宗、霊友会、立正佼成会、佛所護念会教団、国柱会、本化妙宗連盟などたくさんあります。
もしかすると、一般の方には全て同じように映っているのかもしれませんが、どれも違う団体です。
経王であり、もっとも優れた経典であるとして、法華経を信仰のよりどころとすることはどの宗派も同じはずですが、その他の点で少しずつ違いがあり、別の宗団になっています。
厳格な団体か穏健な団体か、法華経の全部を大切にするか一部を大切にするか、お釈迦様を大切にするか否か、日蓮聖人を大切にするか否か、個人の救済(現世利益)のみを追求するかどうか、先祖供養のみを重視するかどうかなど、その他色々な点で主義主張が異なっています。比較的日蓮宗に近い団体もあれば、だいぶ遠い団体もあります。
日蓮宗は、以上で説明してきた通りの立場ですが、大前提として「お釈迦様(久遠の本佛)」と「法華経」の全部と「日蓮聖人」の全てを大切にし、信仰の対象としています。
■終わりに
今回大まかな説明になりました「本尊」や「本佛」「お釈迦様」、「法華経」「お題目」、「日蓮聖人」などについては、今後、別のコラムで少しずつ丁寧に取り上げていきます。
※参考にさせていただいた本です。
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○日蓮宗について
○お坊さんの呼び方
○お線香のあげ方
○お数珠について①
○お数珠について②
○お数珠について③
○御札の祀り方
○金封(のし袋)について
○「祈り」について
○花の供養について
○お灯明について
○お経本のご紹介
○大立寺のお盆①
○大立寺のお盆②
○「お膳」について
○塔婆について
○木魚と木鉦
○お仏壇について①
○お仏壇について②
○お墓について①
○お墓について②
○布施について
○お経とは
○インド仏跡参拝紀行文(1)
○インド仏跡参拝紀行文(2)
○インド仏跡参拝紀行文(3)
○インド仏跡参拝紀行文(4)
○インド仏跡参拝紀行文(5)
○インド仏跡参拝紀行文(6)
○インド仏跡参拝紀行文(7)
○インド仏跡参拝紀行文(8)
○インド仏跡参拝紀行文(9)
○インド仏跡参拝の旅
まとめ動画
○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)
○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
長唱山大立寺(だいりゅうじ)
〒607-8008 京都市山科区安朱東海道町56 詳しくはこちら