平成24年8月作成
○インド仏跡参拝紀行文(6)
インド全体図
■6日目(3月8日)
6日目の朝は、大菩提寺への参拝から始まりました。昨晩はあまり寝る時間が無かったのですが、これでお参りできるのも最後と思い、頑張って早起きして6時にホテルを出発しました。
既に多くの方が参拝されていましたが、早朝の大菩提寺には独特の空気があり、昼間程はざわざわしておらず比較的私の好きな雰囲気でした。
金剛法座の傍で参加者みんなで朝の礼拝をし、それから自由行動となりました。そのまま瞑想される方、休憩される方、みなさん様々でしたが、私は、初めて訪れた時よりも心にゆとりがありましたので、「今、インドのブッダガヤにいます。」と日常とかけ離れた出来事をひしひしと心に刻みながら、ゆっくりと境内を歩いて回りました。
ちなみに、昨晩に引き続き、朝はかなりひんやりしており、一枚羽織る物を持ってくるべきだったと、昨晩の経験を活かせなかったことに、少し後悔もしていました(汗)
朝食後、2日間お世話になったホテルの御内仏で一読して、いよいよホーリー当日のベナレスに向けて、バス移動が始まりました。ホーリー当日ということもあり、何が起こるか分からないので、まだ朝の静けさの残るブッダガヤの街を出たのは8時半頃でした。
途中からインドで初めて高速道路に乗りました。
道ばたでトイレのできる高速道路です(笑)男性陣は麦畑へ。どこまでも続く畑を見ながらインドを満喫しました(笑)
道路の脇は下の写真のようになっているだけでした。その気になったらどこからでも乗れるし、どこでも降りられるように見えました。どうやって管理しているのでしょうか?うーん(笑)
昼食はホテルに用意してもらったお弁当でした。道路脇にあった店じまいしましたと言わんばかりのレストランでの食事でした。入ると机には蠅がたかっていました。…。が、天井にある扇風機のような物を回すと見事にどっかに行ってしまいました。豪快!その後は、何事もなかったように、皆さん黙々とインドのサンドウィッチを頂きました。6日目ともなり「インド」に順応してきたようでした(笑)
たくさんあったので、食べられない分は一まとめにしました。そうなることを予想していたかのように、外で村の子供達がスタンバイしていましたので。日本の残飯事情を思うと複雑な気分でした。
ホーリー、すなわち祭日ということで、お店も基本的にはみんなお休みでした。村を横目に通り過ぎるごとに、シャッターの降りたお店と色粉を持って走り回る子供たち、真っ昼間から酔って座り込んでいる大人たちを見かけました。
お陰様で、普段渋滞しているという高速道路も驚く程快適に走れ、6時間かかると予想していた道のりを4時間半で行けてしまいました。
色にまみれた子供たちを見かける度に、どんな被害に遭うのだろうと恐れていたホーリーも、拍子抜けする程、実に上手くバス移動中に終わってしまい、私たちは何の被害も無くベナレスの街に入れました。こんなことなら記念にインドの服を買っておけば良かったかなと思ってしまいました(笑)
14時頃に着いたベナレスの街は、街中かなりカラフルになり、ゴミもいっぱい落ちていましたが、外に出ている人はちらほらでした。店のシャッターが閉じられていて人影もまばらだったので、嵐が過ぎ去った後のような奇妙な静けさがありました。
どうやら、ちょうど「色掛け祭り」が終わったところのようで、皆お風呂かシャワーに行っているようでした。現に、街角の水道で体中洗っている人や、色だらけになってホテルの前でどうしようかと考えている欧米人を見かけました。
ベナレスは、ブッダガヤなどの仏教聖地とは違って、世界的に有名なインドの観光地です。ホーリーを楽しむ目的で来る観光客もたくさんいます。仏教聖地はやはりアジア系の方ばかりでしたが、ベナレスでほぼ初めて欧米系の外国人に出会いました。
ホテルでの小休憩の後、サールナートへ向かいました。この地は、お釈迦様がお悟りになった後、初めて5人の比丘(びく、ブッダガヤでお釈迦様と共に苦行をされていた修行者)に法を説かれた地です。これを「初転法輪(しょてんぼうりん)」といいます。
途中、チャウカンディーストゥーパに立ち寄って、記念撮影をしました。このストゥーパが建てられている場所は、お釈迦様と5人の比丘が再会された場所ということになっていますが、サールナートではなくこの地こそが実は初めて法を説かれた場所ではないかと云われています。
それから、少しバスに乗るともうサールナートへ到着しました。
まずは、この辺りから発掘された遺跡を展示しているサールナート考古博物館を見学しました。正面入って左側に仏教の遺跡、右側にヒンドゥー教の遺跡が展示されていました。
正面入ってすぐには、アショーカ王柱の柱頭にあった4頭の獅子像が展示されており、今から2300年程前に作られたとは思えない程のボリュームと彫刻の妙に圧倒されました。お釈迦様のお像(初転法輪像)は、ペルシャ風の日本で目にするようなキリッとしたお顔立ちではなく、「土人」という感じの、どちらかというとボテッとした丸いお顔をされているのが印象的でした。
残念ながら、この博物館では、インドでは珍しく(?)写真が撮れなかったので、皆様にお見せすることはできませんm(_ _)m
手荷物検査もとても厳しいと聞いていたので、ほぼ何も持たずに(カメラは持ち込みも禁止)入ることにしたのですが、どの遺跡にもガラスの囲いなどはなく、距離も近く、触ろうと思えば簡単に触れるように展示されており、そのギャップが面白かったです。今思うと、触るのは暗黙の了解だから、検査を厳しくしていたのかもしれません。触っておけば良かった…。観光地は比較的きっちりしているなと思いきや、入口で人数を数えるのはやっぱりいい加減だったのですが(笑)
博物館を出て、バスに一度カメラなどの荷物を取りに帰り、そこからは歩いてダメークストゥーパに向かいました。ダメークストゥーパは、「Deer Park(鹿の園)」と呼ばれる、遺跡がそこかしこに広がる公園の中にあります。元々「サールナート」という地名に「鹿の王」という意味があり、漢訳仏典では「鹿野苑(ろくやおん)」と訳されたことからこのように呼ばれています。お釈迦様がお説法された頃から、この地には多くの鹿がいたそうです。
入場料を払って公園の中に入ると、まずはアショーカ王柱跡に向かいました。これが博物館にあった柱頭の土台の部分だったようです。ブッダガヤにあった王柱とは違い、彫刻だけでなく文字も彫られていました。
それから遺跡の間を進んでいくと、お釈迦様がこの地で瞑想されていたとされるムラガンダクティという寺院跡がありました。ここでも、靴を脱いであがらせてもらい、参加者みんなでご回向させて頂きました。
そして、ずんずんとダメークストゥーパに近付いていきました。実は、公園に入った時点でダメークストゥーパはしっかりと見えていました。
ダメークストゥーパとは、約42メートルの高さを誇る、サールナートのランドマークになっている巨大なストゥーパだからです。仏教全盛期に、アショーカ王によって建てられたとされており、一部は破壊されたものの修復され、今でも見事にそびえ立っていました。このダメークストゥーパの建っている場所こそが、一般に、初めてお釈迦様が5人の比丘に法を説かれた場所とされています。
近くで見ると、これにも大変細かな彫刻が施されているのがよく分かりました。
ここでも、ブッダガヤほどではありませんでしたが、各国の仏教徒の方々がストゥーパの周りの芝生に座って法要をされていました。
ダメークストゥーパを後にして、ほんの少しだけバスに乗ると、スリランカの寺院である「初転法輪寺」に着きました。この寺院には、野生司香雪(のうすこうせつ)という日本人画家によって、お釈迦様のご生涯の壁画が壁中に描かれていました。
見学だけと思っていたのですが、ご寺院様のご好意により、内陣に入らせて頂き、参加者全員で法要までさせて頂けました。これはめったにない貴重な経験で大変有り難かったです。
それから、工芸品店(数珠屋?)に立ち寄って、ついでにトイレ休憩をした後、サールナートにある日本寺院、しかも日蓮宗寺院である「法輪寺」にお参りしました。インドの地に建つ瓦屋根の本堂は、何とも誇らしげに感じ、久々の日本建築に癒されました。
お坊さんが使用するために用意して下さった法要用の机に置かれた、インド人の方向けのルビのふられたお経本を見て、先師の偉大さをひしひしと感じました。
その本堂の横には、2日目にお参りした日本山妙法寺の仏舎利塔と同じように、世界平和を祈って、立派なストゥーパが建立されていました。
この後、一度ホテルに帰る予定をしていたのですが、博物館や初転法輪寺での法要などで少し時間が押したため、そのままベナレスに戻って、ガンジス河の見学に向かうことになりました。
インドといえば、ガンジス河での沐浴風景を思い浮かべるくらい、定番の観光スポットですが、このガンジス河はヒンドゥー教徒にとっては、「母なるガンガー」と呼ばれ、河自体が神格化され、聖地となっています。
河の岸辺には、ガートと呼ばれる沐浴場が、数キロに渡って84箇所並んでいます。そのガートの1つ、ダシャーシュワメードガートでは、毎日、日没後、プージャと呼ばれる火を使ったお祈りがガンジス河に捧げられます。これを見物することができるということで、夜のガンジス河を訪れました。
当初は、リクシャーという自転車タクシーに乗って、陸から現地に向かう予定をしていたのですが、ホーリー当日だったということもあり、いつも以上に観光客であふれかえっているという情報が入り、急遽、河の下流から舟で向かうことになりました。
舟着き場にはゴミはそこそこあったものの、嫌なにおいもなく、予想していたよりはずっと綺麗な河でした。こんなに乗り込んで沈みませんか?と思うほどの木造の小型舟に乗り込み出発しました。乗ってからもしばらく不安でしたが、テンポのよいエンジン音を聞きながら、満月の夜空を眺めて、河を上っていくとそんなことはいつしか忘れていました。ライトアップされたどこまでも続くガートと対岸の真っ暗闇のコントラストが何とも幻想的でした。
10分程行ったところに、多くの同じような舟が集まっていました。ダシャーシュワメードガートは他のガートよりも大きく、より明るい場所で、人もすでにたくさん集まっており、シャンシャンと鳴るインド特有の楽器の音が鳴り響いていました。讃歌も歌われており、あたかもお祭りに来たようでした。
舟に切り替えた時点では、舟からなら上陸して礼拝場の傍まで行けると思っていたのですが、他の舟が所狭しとガートの周りを囲んでいたので、とても近づけるような状況ではありませんでした(汗)
しかし、遠くからではあったものの、十分にその雰囲気を味わうことはできました。午後、ホテルを出発してから次から次へと続いた仏教聖地参拝の後の、ちょっとほっこりできる一幕でした。
夜になり少し冷えてきた舟上でしたが、今朝の反省を活かして、長袖をしっかり着ていたので、夜風を気持ちよく浴びながらの帰路となりました。
ホテルに帰るともう21時になろうとしていました。遅めの夕食を摂ると、翌日も、早朝からのガンジス河・暁天船上法要を予定していましたので、早々に床に就きました。
朝にブッダガヤでお参りしていたことや、ホーリーにびくびくしていたことなどすっかり忘れてしまう程、この日もぎっしりと充実したインドの一日を過ごすことができました。
>> 7日目へ続く >>
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○日蓮宗について
○お坊さんの呼び方
○お線香のあげ方
○お数珠について①
○お数珠について②
○お数珠について③
○御札の祀り方
○金封(のし袋)について
○「祈り」について
○花の供養について
○お灯明について
○お経本のご紹介
○大立寺のお盆①
○大立寺のお盆②
○「お膳」について
○塔婆について
○木魚と木鉦
○お仏壇について①
○お仏壇について②
○お墓について①
○お墓について②
○布施について
○お経とは
○インド仏跡参拝紀行文(1)
○インド仏跡参拝紀行文(2)
○インド仏跡参拝紀行文(3)
○インド仏跡参拝紀行文(4)
○インド仏跡参拝紀行文(5)
○インド仏跡参拝紀行文(6)
○インド仏跡参拝紀行文(7)
○インド仏跡参拝紀行文(8)
○インド仏跡参拝紀行文(9)
○インド仏跡参拝の旅
まとめ動画
○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)
○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
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