平成24年9月作成
○インド仏跡参拝紀行文(7)
インド全体図
■7日目(3月9日)
この日も5時半ロビー集合で一日が始まりました。
ガンジス河舟上にて、暁天唱題行並びに東日本大震災一周忌法要をお勤めするため、まだ日が昇らないうちにホテルを出発しました。
ガンジス河の近くは道が狭く、バスが奥まで入れなかったので、だいぶ手前からバスを降りて船着き場に向かいました。
途中、木の枝を束ねて売っているおばさんがいました。これは「ニーム」という歯磨き用の木の枝でした。皮をむいてしがんでから擦るようにして歯を磨くそうです。私は、なかなか冒険できませんでした(汗)
全体的には、昨晩の「お祭り騒ぎ」から一転して静かなものでしたが、トイレ休憩で待機していると、向こうの方からおそらくヒンドゥー教の方々がプージャと同じ音楽を鳴らしながら通り過ぎていきました。
道ばたには、所々ホーリーの跡が残っていました。
昨晩リクシャーで通り過ぎる予定であったコースを10分程歩いていくと、昨晩舟上から見ていたダシャーシュワメードガートに到着しました。
下の写真が、ヒンドゥー教の僧侶が礼拝していた場所です。
この日はここから舟に乗り、沖まで出て行きました。
この日の舟は、厳粛に法要を行うためか、エンジンのない手こぎ舟でした。
沖に出るまでの間、みんなに花の上に乗せられた灯明が配られました。舟からガンジス河に向けて献灯供養をするためでした。朝から灯籠流しをしているようで、少し不思議な気分でした。
程なくして舟を止めると、ちょうど太陽が東の空から昇ってきました。そして、そのご来光を仰ぎ見ながらの舟上法要が始まりました。
この日も雲一つない見事な快晴となり、昇り来る太陽の方角に日本を思いながら、3月11日には2日早かったですが、皆さんと共に、唱題行を行い、東日本大震災一周忌法要をお勤めし、遠くインドから日本の物故者の方々にご回向させて頂きました。
この法要もまさに青年会ならではのもので、非常に有り難い法要となりました。
法要中には、散華して辺りを荘厳し、霊鷲山で建塔しました紙塔婆も読み上げしてガンジス河に流させて頂きました。
法要後は、ゆったりと進む舟の上から、沐浴の光景に代表される朝のガート見物をしました。
その途中、日本人の学生らしき青年が入ろうかどうか迷っていました。黙って参加者みんなで見守っていると…見事ガンジス河へダイブ。参加者からは拍手が起こりました。何とも立派な学生さん達でした。
それに比べて私は…。その勇気もなく沐浴せず帰ってきてしまいました(汗)ゴミは確かにいっぱいあったものの、朝見ても、想像していた程は汚れておらず(紙塔婆が沈んでいく様子が見えました)、しようと思えばできたのかもしれませんが…。
20分程の遊覧の後、朝食を摂ることにしていた、リバーサイドレストランの前の岸辺に着きました。
そこから、ホテルの入り口までの階段を合わせると、食事会場まではおそらく9階分くらい階段を上ったと思います。当然エレベータのような便利なものはありません。みんなまだある~、まだある~と言いながら、必死で上りました。
軽い"山登り"を終えて到達したレストランから見る景色は素晴らしかったです。
舟上法要を終えると残すは観光のみ。それでほっこりしてしまったからか、早朝からの法要だったからか、はたまたこの階段に体力を奪われたからか、朝食中はみなさん少しお疲れモードでした。
「人は皆、この河より生まれ、そして還っていく」
という思想がヒンドゥー教にはあります。だからこそ「母なるガンガー」として崇めます。さんさんと降り注ぐ太陽の下、ガンジス河のパノラマビューを目の前にして、その思想に思いを巡らしながら、まったりとコーヒーを飲んでくつろぎました。
朝食後は、この町の裏通りの散策。とはいっても、バラけると二度と戻ってこられないと思うほどかなり複雑に入り組んでいましたので、はぐれないように一列になって、足下を気にしながら歩きました。
道幅は人が2,3人通れるくらいと狭く、その両脇には3階建てそれ以上の石造りの家が所狭しとそびえていました。
牛の糞やゴミ、がれきが所々に落ちており、階段を上ったり降りたり、地下道に入ったりして進んでいく道は、まるで迷路のようでした。
もうどう歩いたかは全く分からなくなって、先頭を行くインド人が進むままに付いていくと、突然パッと道が開け、ガンジス河沿いの、一軒の寺院のある広場に辿り着きました。ここで少し休憩となりました。
この寺院は、ネパールの寺院で、赤レンガの壁と細かい彫刻が施された柱が印象的でした。
この彫刻、よく見てみるとかなりきわどい性描写がされていました。こういう描写は、カジュラホという地域のヒンドゥー教の寺院群がインドでは有名だそうですが、ある時期に作られた寺院にはよく見られるようです。開放的に芸術的に美しく描写することで、生きる喜びを表現しているそうです。私には、当時の人々が子孫繁栄を切に願っていたというように映っていたのですが、将来のことより「今」が幸せであればいいんだッという刹那主義的な思想を反映してのことだったのでしょうか。正確な教義を知らないので、考えこんでしまいました。
小休憩後は、火葬場の見学となりました。当然、撮影禁止で、ゆっくり見ている間はなく通り過ぎるだけでしたが、マキを組んでそのままご遺体を焼いている様子は、はっきりと見ることができました。南無妙法蓮華経。不思議と臭いは感じませんでした。
焼かれたご遺体は、灰を水でゆすいで綺麗なお骨だけにし、それをガンジス河の沖に流すとのことでした。まさに「ガンジス河に還っていく」ということです。したがって、ヒンドゥー教にはお墓がありません。言うなれば、母なるガンガー、ガンジス河そのものが大きなお墓ということです。
火葬場の横にはたくさんのマキが積まれており、脇にあるお店ではお香がたくさん売られていました。お金持ちは、お香も一緒に焼いていい臭いをさせながら火葬するとのことでした。
そこを通り過ぎ、
牛を避けながら
しばらく同じような道を歩くと、またパッと、自動車も行き来する大きな通りに出ました。ひっそりとした裏町の様子とは違い、そこにはこれまで見てきた殺伐とした「インド」が広がっていました。ガンジス河周辺はインドでも少し違う雰囲気の場所だったと思います。
バスに乗り込みホテルへ戻る途中、インドのお土産として有名な、シルクのお店を訪れました。
シルクがお手頃な値段で手に入るということで、やはり女性陣は真剣にお買い物をされていました。
が、あまり興味のわかない男性陣は店の物を試着し始めました(笑)
ということで写真撮影会…。
最後は、我らが青年会会長と参加者とのインド満喫ショット。いい思い出になりました。
ホテルへ戻ると昼食まで少し時間があったので、ホテルから出てみることにしました。持ち物検査はやはりいい加減…。顔パスでした(笑)このホテルも5つ星だったのですが、細部に渡りサービスは何ともお粗末でした。昔5つ星だったのかなという感じです。インドではホテルのオーナーが代わることもしばしばで、その度にサービスもコロッと変わるとか。さらには、星を買ったり買わなかったりとか…。
さて、外に出たのは、家族に現地のお土産を買うためでした。が、ホーリーの翌日ということもあってか、ほとんど店が開いておらず、町の様子をカメラに納めるだけになってしまいました。
時間が余ったので、部屋に戻り、最後のブログの更新をしました。ここでも部屋の外に出ないとインターネットが繋がらない状態…。5つ星?!
昼食後、ホテル出発までに、日本ではしたことのない、ホテルのお店でのお土産ショッピング。さぞかし高いだろうと思いながら品物を見ていると、なかなか感じの良いコットンのスカーフが見つかりました。
値段を聞いてみるとそれほど高くない…。ということで購入したのですが、冷静に考えると、なんと言っても「5つ星」のホテルだからやはり高いはず。なぜ高く感じなかったのか…。それは至るところで日本人向けのお店に連れて行かれたから…。…。ノブレス・オブリージュ!
そして、最後の目的地「アグラ」に向けて、長時間移動が始まりました。
まずは、ベナレスから国内線の飛行機を使って、首都デリーへ。空港は驚く程、綺麗に感じました。これまで見てきたインドとは別世界でした。やはり飛行機はインドでは富裕層の乗り物なのだと思います。
2日目に寝台列車で一晩かかって移動した距離を、1時間半で移動できてしまいました。
到着したデリー国際空港は、一日目、初めてインドの土を踏んだ場所であり、そして明後日、日本に向けて出発する場所です。このまま日本便に乗り帰れば、日本に戻れたのですが、旅行計画を立てる段階で、せっかくインドまで行くのだからと欲張って、世界遺産「タージマハル」も予定に組み込んでしまったため、まだまだ移動が続くのでした。
しかし、紙の上でのお話と現実は違うもので…。空港からアグラまで6時間のバス移動は、渋滞もあって、疲れの溜まってきた体にはなかなかハードでした。バスで6時間というと京都から東京くらいです。その間、トイレ休憩は一回だけ、夕食はバス内でのお弁当とかなりの強行日程でした。
距離の問題はどうしようもないのですが、休み無し・バス内弁当という日程で到着を急いだのは、実は、この夜宿泊するホテルが、これぞ5つ星という素敵なホテルだったからです。
それでも着いた時には午後11時を回っており、残念ながらホテル内をゆっくり見て回るだけの時間はありませんでした。しかし、掃除はしっかりされており、サービスや従業員の教育も行き届き、一言でいうと「品のある」ホテルであるということはすぐに感じられました。理由は分かりませんが、ガイドさんやバスの運転手さんはホテル内に入ることすらできなかったようでした。
各部屋も豪華で、アメニティグッズも充実していました。そして、何よりベッドは、今まで味わったことのない、吸い込まれるようなクッションで、まるで「高級」ホテルを誇示しているかのような印象さえ受けました。感動しました!
この日も夜遅くになりましたが、翌日インド最後の一日を満喫するべく、心地よいベッドに埋もれながら深い眠りにつきました。
>> 8日目へ続く >>
↑画像をクリックすると"インド"に関する書籍のリンクに飛びます。
○日蓮宗について
○お坊さんの呼び方
○お線香のあげ方
○お数珠について①
○お数珠について②
○お数珠について③
○御札の祀り方
○金封(のし袋)について
○「祈り」について
○花の供養について
○お灯明について
○お経本のご紹介
○大立寺のお盆①
○大立寺のお盆②
○「お膳」について
○塔婆について
○木魚と木鉦
○お仏壇について①
○お仏壇について②
○お墓について①
○お墓について②
○布施について
○お経とは
○インド仏跡参拝紀行文(1)
○インド仏跡参拝紀行文(2)
○インド仏跡参拝紀行文(3)
○インド仏跡参拝紀行文(4)
○インド仏跡参拝紀行文(5)
○インド仏跡参拝紀行文(6)
○インド仏跡参拝紀行文(7)
○インド仏跡参拝紀行文(8)
○インド仏跡参拝紀行文(9)
○インド仏跡参拝の旅
まとめ動画
○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)
○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
長唱山大立寺(だいりゅうじ)
〒607-8008 京都市山科区安朱東海道町56 詳しくはこちら