日蓮宗長唱山大立寺
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コラム


平成24年5月作成

○インド仏跡参拝紀行文(3)



 インド全体図

■4日目(3月6日)前半

 いよいよ、今回インドに来た最大の目的、お釈迦様への報恩感謝を伝える霊鷲山での法要を行う朝を迎えました。

 日の出に合わせて登頂するため、この日の朝は5時起床でした。



 まだ薄暗い中、お坊さんも参加者もそれぞれお参りの正装になって、バスに乗り、昨日お参りした多宝山へ向けて出発しました。

 霊鷲山へは多宝山と同じ所から行くことが出来ます。
 多宝山へはロープウェイで、霊鷲山へは徒歩でという感じです。



 横からの写真で分かりにくいとは思いますが、このような位置関係になります。入口は同じですが、途中で道が分かれ、それぞれの山頂に向かうことが出来ます。

 唱題行脚をしながら一歩ずつ上へ上へと向かっていきました。





 この道は「ビンビサーラロード」と呼ばれています。前回のコラムに出てきた、お釈迦様の外護者ビンビサーラ王がお釈迦様のお説法を霊鷲山の頂きに聞きに行くために整備された道だそうで、今は綺麗に舗装され歩きやすくなっています。





 途中、一度休憩を挟みました。その場所からよく霊鷲山の山頂が見えました。もう一息。





 最後に急な階段が連続しましたが、そこを何とか登り切り、今回の最高齢84歳のお婆さんも含め、無事参加者全員で到頂することが出来ました。約30分の行程でした。







 礼拝場には靴を脱いで入ります。土足厳禁。この場所は西向きに作られていました。お天道様は反対から上がってきますので、後ろを向いてまずはご来光を仰ぎながら読経、唱題を行いました。



 遠く日本を3日目前に出発し、ようやく辿り着いた法華経お説法の地、霊鷲山。澄みきった快晴の下、参加者全員で無事辿り着け、遠く東の空のご来光を仰ぎながら、読経唱題。ただただ感謝感激しておりました。

 そのご来光の綺麗さは、写真の通り、言葉はいらない綺麗さでした。





 と、その後ろ側、つまり礼拝場では黙々と法要の準備をしておりました。石畳の上にゴザや絨毯を敷き、日本から持って来たロウソク、香炭に火を着け、事前に申し込みをしてもらっていた紙塔婆を並べました。



 登頂から仰天法要までは休みなく行われたので、一度休憩をとり、皆さんそれぞれにご来光との撮影会。



 それから場を仕切り直し、霊鷲山の頂きから声明が響き渡る中、ついに報恩法要が始まりました。







 足の悪い方を除き、皆で正座合掌。厳粛な雰囲気の中での読経。







 そして、唱題しながら、お坊さんは行道を、参加者は花のお供えとお焼香を行いました。行道とは、お祀りしてあるお釈迦様の周りをグルグルとゆっくり回ることで、今回は華葩(けは)と呼ばれる紙でできた華をまき(散華といいます)ながら行いました。







 霊鷲山の頂きからたくさんの華の雨が降り注ぎました。法華経の中に出てくる『雨曼荼羅華(天界の華、曼荼羅華をふらして)』という経文を現出したような何とも綺麗で厳かな光景でした。



 導師をお務めになった団長は、その間、百数十枚もの紙塔婆の読み上げをされていました。一枚一枚、丁寧にお釈迦様への「報恩謝徳」を伝えておられました。



 そして最後にご回向し、お釈迦様の徳を讃え、恩に感謝する法要を滞りなくお勤めすることができました。



 早起きのお陰で、他のグループとかぶることもなく、結構な時間をこの地で過ごすことが出来ました。有り難かったです。もう次のグループが登ってくるのが見えていましたが、法要の片付けと記念撮影もしっかり済ませ、下山を始めました。





 帰り際何人かの方が霊鷲山の土を拾ってられたので、甲子園球児みたいだな(笑)と思いながら、私もちゃっかり聖地の土を頂いてきました。これも寺宝の1つにしています。

 さて、「霊鷲山」という山の名は、「ハゲワシ」の頭の部分の形に似ていることから付けられたと聞いていました。が、礼拝場から見渡す限り、全くそのような形の部分はありませんでした。

 不思議に思いながら下山し始めたその時、添乗員さんに「ここから見てもらうと鷲に見えます」と教えてもらったのは、礼拝場に向かう最後の急な階段の途中でした。

 行きは階段を見て登っていますので気付きません。帰りも言われなければ、頂上からの景色を見ながら下りますので気付きません。多分、知らなければまず目も向けないような場所でした…。

 ただ、それは階段から北の方を向いた岩山肌でしたので、この山の一番高い部分でした。なので、その部分が鷲の形をしててそのように名付けたわけですからこれは最もなことで、気付かない私たちがどこを見てるんだという話なのですが…(汗)

 とはいえ、思っていた以上に小さな鷲の頭でした。霊鷲山というからには、頂上部分全体が鷲の頭のように見えると思っていましたので。写真からは分かりにくいかもしれませんが、あっても幅2メートルくらいだったと思います。



 下山途中に、小さな石窟がありました。
 分かりにくいですが、2箇所とも奥にお像が祀られています。



 こちらは、お釈迦様の十大弟子の一人で多聞第一と称され、ずっとお釈迦様のそばでお仕えされていた阿難尊者が修行されていたと云われている石窟です。



 そして、こちらが、お釈迦様の十大弟子の一人で神通第一と称される目連尊者が修行されていたと云われている石窟です。

 礼拝場もそうでしたが、2つともたくさんの金箔が貼られていました。これはタイの団体が貼っていくそうです。お経文にも書かれているのですが、崇高な仏さまやそのおられる場所は金色に光り輝いているとされ、それに倣っての行いのようでした。それならもう少し何とかならないのかという貼り方でしたが…。

 昨日からしつこく付いてきている「お土産屋さん」がこの日も早朝から一生懸命付いてきていました。
 ずっと要らない要らないと言っていたのですが、そろそろお土産を買おうと思っていたこともあり、一度話をしてみるかと下山しながら交渉を始めました。

 まずは、10本くらいが束になった数珠を1000円と言ってきました。たくさん数珠があっても使わないので、白檀といういい香りのする数珠はないかと切り返しました。交渉は「当然」日本語でします(笑)

 すると、かばんの中から大事そうに何種類かの白檀の数珠を出して見せてくれました。いい白檀の香りがしたので本物であるとは感じました。10本1000円よりは高いかと思っていると1本2000円と言い出しました。あまりの値段の違いに瞬時に「たかっ、無理!」と一蹴。ここからが本当の交渉でしたが、お土産屋さんも負けじと本数増やして応戦。5本で1万円でどう?と。…いやいや、何も安くなってないし(笑)

 「これで5000円は?そうじゃないと買わない。」と聞くと。「それは無理」と言った後、悩んでる様子。1本減らして4本にして「これで5000円でいいよ。」と言い出したので、じゃあ半額に近付いたなと一度OKを出すと、ひそかにもう1本かばんにしまおうとしていました。ズルイ(>_<)…。そんな行為を見逃すわけもなく、じゃあ買わないよで徹底抗戦。さらに相手がしぶしぶ4本渡そうとしてきたときにたたみかけるように、「じゃあその小さな玉の数珠も付けてよ。」と関西人パワー発揮。結局、白檀4本と安い束の数珠を付けてくれて5000円で買うことができました。

 下山の様子を写真に納めるのを忘れる程、お土産屋さんとの交渉に夢中になってしまったのですが、言い値ではありましたが10本1000円のも付けてくれたし、白檀は1本1000円、つまり初めの半額で買えた計算になるし、お土産屋さんの様子からもだいぶいい交渉が出来たんじゃないかと喜んでいました(^^)/…が、この話の落ちは後ほど(笑)

 ホテルに戻り遅い朝食の後、少しの休憩を挟んで、出発前にホテルの御内仏の前で今度は参加者の皆さんも含め皆でお勤めをしました。





 その後、ブッダガヤに向けて10時にホテルを出発しました。
 ラージギルを出る最後に、馬車の轍(わだち)後を見学しました。これは、ビンビサーラ王がお釈迦様のお説法を聞くために馬車に乗って霊鷲山に通われたその道にできた轍でした。土ではなく石でできた道でしたが、そんな硬い物がちょうど馬車の車輪の幅で2本の線になってきれいに凹んでいました。



 当時だから車輪は木製だったろうし、ホントにこんなに凹むのだろうかと少し疑ってしまいましたが、参加者に話を聞くと、日本でもこのような跡が残っている場所があると仰っていたので、またまた歴史の重みを浅く考えてしまったことを反省しながら、ビンビサーラ王のお釈迦様への思いを強く感じておりました。

 そして、これでホントにラージギルを離れるんだなと感慨深げにいたその時、やはり昨日から今朝もずっと付いてきていた同じお土産屋さんの最後の売り込みに出くわしました。お土産屋さんともこれで最後だなとほんの少しだけ寂しい気持ちも抱きながら、私はもう買い物は終わったしと足早にバスに乗り込んでしまいました。



 しかし、バスの乗降口で何やら盛り上がっている様子。お土産屋さんによる怒濤のたたき売りが始まっていたのでした。最後まで買わないと拒み続けていた参加者が「戦い」を終えバスに乗り込んできたその腕には100本を優に超える数珠が掛けられていました。おそらく写真の彼が左手に掛けている数珠全部だと思います。そして、皆が興味津々にいくらになったのと尋ねると…なんと2000円とのことでした。私は4本と安い数珠で5000円…。おそらく白檀は無かったと思いますが、…と思いたいですが…(笑)。ホントにインドは面白い国だなとつくづく感じた瞬間でした(笑)

 ちなみに、その数珠を買われた方は、大立寺の檀家さんで、「手には入れたものの、こんなに私は要らないから」とほとんどを大立寺に寄付して頂きました。その数珠は、インド土産ということで春の彼岸会にお寺にお参り頂いた方にお渡ししました。この場をお借りしてお礼申し上げますm(_ _)m


>> 4日目後半へ続く >>



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○日蓮宗について

○お坊さんの呼び方

○お線香のあげ方

○お数珠について①

○お数珠について②

○お数珠について③

○御札の祀り方

○金封(のし袋)について

○「祈り」について

○花の供養について

○お灯明について

○お経本のご紹介

○大立寺のお盆①

○大立寺のお盆②

○「お膳」について

○塔婆について

○木魚と木鉦

○お仏壇について①

○お仏壇について②

○お墓について①

○お墓について②

○布施について

○お経とは

○インド仏跡参拝紀行文(1)

○インド仏跡参拝紀行文(2)

○インド仏跡参拝紀行文(3)

○インド仏跡参拝紀行文(4)

○インド仏跡参拝紀行文(5)

○インド仏跡参拝紀行文(6)

○インド仏跡参拝紀行文(7)

○インド仏跡参拝紀行文(8)

○インド仏跡参拝紀行文(9)

○インド仏跡参拝の旅 
 まとめ動画 


○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)

○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
  
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