平成25年6月作成
○お経とは
■はじめに
私たちが日々お唱えしているお経(きょう)。
今回のコラムでは、この漢字ばかりの読み物は、そもそも何であるのかということを説明しています。
学術的に精密な説明をしていくと、結局何かよく分からなくなると思いましたので、大事なポイントだけを押さえたつもりです。
■成り立ち
まず、数多くあるお経には、そのすべてにお釈迦様がお説きになった「教え」が書かれています。
しかし、お釈迦様自身がお経という形で書き残されたわけではありません。お釈迦様は、弟子など悩みを抱えた人たちに、口頭で教えを説かれていただけです。
インドのお釈迦様がお説教をされていた時代には、文字は一般的ではなく、暗記して口伝えで弘めていくのが一般的でした。
そして、お釈迦様がお亡くなりになった後、たくさんの「お説教」をまとめるために、「仏典結集(ぶってんけつじゅう)」という編集会議が開かれます。
たくさんの弟子たちが集まり、「私はこのように聞きました」と言って話し合い、まとめられていきました。それらが、元々の「お経」です。
ですから、このまとめられた「お経」も、お釈迦様が亡くなられて少なくとも200年は、口で伝えられていたようです。
口伝えの「お経」は、各地に、それぞれその地域で使われている言語で弘まっていきます。やがて、文字にして残す文化が発達してくると、その弘まった地域の文字で、書き留められるようになります。また、書き留められたお経は、別の地域の言語に翻訳されて弘まっていきもしました。
そうして次第に、文字に起こされ弘まっていったお経ですが、今でも、インドのサンスクリット語やパーリ語、チベット語、中国語のお経がそれぞれの地域で用いられています。
日本には、この中国語に翻訳されたお経が伝わり、今でもほぼそのまま読まれています。
遠い昔、インドでお釈迦様が仰った言葉が口伝えで伝わり、文字になり、違う言語に翻訳され、長い距離を越えて日本に伝わり、過去の多くの方々から代々受け継がれてきたのが、今私たちが目にしているお経なのです。
■特徴
元々が暗記、口伝えで、弘まっていったお経ですので、覚えやすく、唱えやすくなっているのが大きな特徴です。ゴロよく、詩的になっています。これは、中国語訳の私たちが目にするお経だけでなく、他の言語のお経もそうです。
インドの大菩提寺をお参りしたとき、各国の仏教徒の方々がそれぞれの法式で読経されていましたが、まるで歌を歌われているように聞こえました。
■日蓮宗のお経
お釈迦様は、30歳でお悟りになられてから80歳でお亡くなりになるまで、たくさんのお説教をされました。大衆に向けられたお説教もあれば、一人一人に与えられたお説教もあります。
そのそれぞれのお説教を聞いた者が、「私はこのように聞きました」と言って、お経にしていきましたので、極端に言えば人の数だけお経があることになります。
「結集」で認められなければならなかったので人の数ということはないのですが、それでもたくさんありますので、お経は「八万四千」あると言われています。このすべてを指して「一切経」と呼びます。
ちなみに、日蓮聖人はこの一切経を5回も読まれたそうです。
このたくさんあるお経も、その内容や順序によって、分類することができます。その分類の中で、もっとも大きく二つに分ける基準が「随他意(ずいたい)」の教えか「随自意(ずいじい)」の教えかというものです。
これは、お釈迦様が悩みを抱えた人それぞれに応じて説いた(=随他意)教えか、お釈迦様自身が説きたかったことを説いた(=随自意)教えかという違いです。
それぞれの悩みに応じて出された「お薬」か、そういう様々な悩みを解決するお薬の「作り方そのもの」かの違いと考えると分かりやすいかもしれません。後者は「万病に効くお薬」と言うこともできます。
「作り方」を教えてもらうには、やはり聞く側の素養も必要とされます。そのため、このお経には、大変難しくて、理解しがたい教えだと説かれていますが、ついにこのお経を説く時期が来たとも説かれています。
このお経こそが、お釈迦様の教えが届かなくなった、今のような時代に向けてのお経であると説かれています。
この「作り方」であり「万病に効くお薬」であるお経こそが、私たちが日々お唱えしているお経「妙法蓮華経=法華経」です。
お経のすべてがお釈迦様のお説教ですので、すべて大事なのですが、日蓮聖人は「法華経」を私たちの拠り所とすべきとされました。
何度も一切経を読まれ、時代や場所、お経を読む者の状況など色々な条件を考慮して、自らの経験も通して、日蓮聖人が生きられた時代以降の者には、「法華経」こそが唱えられ、信仰されるべき「お経」であると結論付けられました。
日蓮聖人がそう確信されるまでの過程は、今回のコラムでは触れませんが、この確信の後、その功徳を集約する「南無妙法蓮華経」の「お題目」をお唱えすることを導いていかれます。
ちなみに、大雑把ではありますが、このたくさんあるお経のどれを拠り所にするかによって、日本では、宗派が別れています。「随他意」の、ある一つの悩みだけを解決する「お薬」を拠り所として、信仰されている宗派もあるということです。
■終わりに
私たちは、もうインドのお釈迦様から直接「教え」を説いてもらうことはできません。しかし、「法華経」というお経を聞き、自らお唱えすることで、お釈迦様の真意に触れることはできます。
「一々文々是真仏(お経の一文字一文字がお釈迦様である)」という言葉があるように、「それを目にする者に、その時々に、お釈迦様によって説かれ続けている」と観じる「教え」が「お経」なのです。
※「法華経」とは、お題目「南無妙法蓮華経」とは、ということについては、今後、別コラムで書いていきます。
※参考にさせていただいた本です。
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○日蓮宗について
○お坊さんの呼び方
○お線香のあげ方
○お数珠について①
○お数珠について②
○お数珠について③
○御札の祀り方
○金封(のし袋)について
○「祈り」について
○花の供養について
○お灯明について
○お経本のご紹介
○大立寺のお盆①
○大立寺のお盆②
○「お膳」について
○塔婆について
○木魚と木鉦
○お仏壇について①
○お仏壇について②
○お墓について①
○お墓について②
○布施について
○お経とは
○インド仏跡参拝紀行文(1)
○インド仏跡参拝紀行文(2)
○インド仏跡参拝紀行文(3)
○インド仏跡参拝紀行文(4)
○インド仏跡参拝紀行文(5)
○インド仏跡参拝紀行文(6)
○インド仏跡参拝紀行文(7)
○インド仏跡参拝紀行文(8)
○インド仏跡参拝紀行文(9)
○インド仏跡参拝の旅
まとめ動画
○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)
○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
長唱山大立寺(だいりゅうじ)
〒607-8008 京都市山科区安朱東海道町56 詳しくはこちら