日蓮宗長唱山大立寺
  →大立寺へのアクセス方法はこちら
  →ホームページ更新履歴はこちら

ご訪問ありがとうございます。


「ロンドー」手を取り合って 「ロンドー」はお寺の中に作ったサークルです。たくさんの仲間達と色々なイベントや活動を行っています。 左のボタンをクリックすると活動内容がご覧になれます。

大立寺の縁起住職挨拶・略歴年間行事案内お寺の写真将来への備えコラムリンク

 

コラム


平成24年11月作成

○インド仏跡参拝紀行文(9)


■インド団参を終えて

 何度も書きましたが、非常に有り難い経験をし、多くの感動と衝撃を得た、ホントにいい旅でした。なかなか旅をする機会のない私にとっては、一つ一つが新鮮で、どの経験も自分を一回りも二回りも成長させてくれたと思っています。

 またこの旅を通して、海外の文化に、机上ではなく直接自分の肌で感じることの楽しさを改めて気付かされました。

 インドは、何度も行きたくなるか、二度と行きたくないかがはっきり分かれる国だと言われます。

 ここまでいい旅、良かった~っなどと何度も言い続けてきて今さらなのですが、正直、実は、今のところ、私はインドはもう十分満足したかなと、「はまる」ことはないかなと思っています(汗)
 いかに自分が文明社会の中にどっぷり浸かって暮らしているか、それを当たり前だと思って過ごしているかということを思い知らされました。住めば都。一月も住めばまた思いも変わってくるのかもしれませんが…。

 とは言いつつ、いつかまた機会があれば、残りの仏教聖地である、お釈迦様ご生誕の地「ルンビニー」とお釈迦様ご入滅の地「クシナガラ」にはお参りしたいと思っております。次に訪れたい第一候補は、中国仏教の聖地、天台山だったりするのですが…。

 なかなか長期で自坊を留守にすることは難しいのですが、若い内、無理のできる内に何とか時間を作って、これからも世界各国の風を感じていきたいと思っております!!



■余談

 以下は、いつの日かインドを再訪する時、私自身が当時を振り返るための記録として書き留めておくものです。


○後輩

 実は、この旅では全く同じ期間、私の後輩達もインドに行っていました。広いインドで会えたら素敵やねと言って、互いに別々の飛行機で日本を出発しました。
 彼らは旅慣れしていることもあって、宿も取らず、往復の飛行機のチケットだけを持ってインドを訪れたのでした。

 デリー空港に着いたとき、先に着いた彼らが待っていてくれたこともあって、幸先良く会うことができました。私たちがツアーということもあり、あまり話す時間が取れなかったので、互いのインドを楽しんでこようとだけ言って、元気よく別れました。

 9日間、唯一会う可能性のあった場所でもやはり会えませんでした。たぶん生きているだろうとは思いつつも、自分たちが経験したことの何倍も危ない道を通っているのだろうなと考えると少々不安な気持ちも抱いて、8日目の夜デリー空港に再び着きました。

 すると、私たちがバスを降りたまさにその時、その場所の近くにあった地下鉄の上りエスカレーターで上がってくる彼らとばったり出くわしたのでした。空港ではさすがに会えるかなとも思っていましたが、図ったかのような寸分狂わぬ、まさかの再会。
 予想していたような再会の仕方ではありませんでしたが、それなりにいい縁を感じる、ちょっと素敵なハプニングでした。



 またもあまり時間が無かったのですが、いきなりタクシーに騙されて6時間かけてタージマハルのあるアグラまで夜中の道を走られたこと、嘘の旅行会社に騙されてひどい列車と宿をとられたこと、それに負けじと宿の親父とやりやって居座ったこと、そして、ホーリーにしっかり参加して味噌糞の色まみれになったことを話してくれました。この刺激がたまらなく気に入ったようで、大変楽しかったそうです。頼もしすぎる…。

 インドの現実を聞かされゾクゾクしましたが、初めに確かめ合ったように、互いに身の丈に合ったインドを楽しむことがができて良かったと思っています(笑)


○シャワー事情

 コラムの数カ所でお風呂について触れましたが、ここではシャワーについて。

 インドのホテルでは多くの人が一度にお湯を使うと、水になるとか水量が著しく減ると聞いていました。しかし、この情報は古かったようで、今ではだいぶ改善され、大体どこのホテルでも普通に使えました。
 唯一出にくかったのは、一日目の完成したばかりのホテルだったのですが…。後のホテルは、温度や水量は大丈夫でした。

 ちなみに、石けんもあまり泡立たないし使えないと聞いていたのですが、7日目の5つ?星ホテルを除いてしっかり使えました。


○ゴミ問題

 インドでは、何でもかんでもゴミを外へ捨てる文化があるようです。だから、街中ゴミだらけなのですが、二階からポイ、電車からでもバスからでもポイが当たり前です。寝台列車に乗ったとき、お弁当のゴミは外へ捨てて下さいと言われましたが、なかなか我々日本人にはできませんでした。

 昔は燃えたり腐ったりするものがゴミの中心で、食べられる物は野良牛、野良犬、野良羊などが食べてくれました。しかもアスファルトではなく土の道。見事にすべて自然に還って綺麗になったそうです。

 しかし、今はプラスチックやナイロンのゴミが増え、アスファルトの道が増えました。外に捨てても自然には還りません。こういうゴミは回収して適切に処分するしか片付きようがありません。ゴミ回収という面倒な習慣は置いといて、便利なプラスチックやナイロン文化だけが浸透してしまったという感じです。



 街の美化には、費用の問題もありますが、まずは教育による意識改革が重要であることは間違いないはずです。

 処分方法を身に付けないうちに便利だということで使ってしまう。インド政府は原子力発電所の設置にも積極的だそうです。この問題も頭をよぎり、この点では日本も同じだなと思いました。

 街の美化に関しても、教育現場の前に、政府レベルからの意識改革が必要なのかもしれません。

 再訪の際、経済的にだけでなく、文化的にも発展し、街が綺麗になっていることを期待してここに書いておきます。


○ダイエット?

 私は、この9日間で、何と3キロ痩せて帰国しました。見事、ダイエット成功です。というのは冗談で、実はこれまで触れませんでしたが、6日目ベナレスに入った辺りから、重度の下痢になっておりました。日本から持参した市販の下痢止めや胃腸薬を多めに色々飲んだのですが、全くと言っていいほど効きませんでした。

 ですから、ガンジス河での舟上法要、タージマハルの観光、休憩1回の6時間往復バス移動などは、実は、かなり頑張って、見えない敵と闘っていました(笑)不思議なことに、お腹だけ壊して、体は熱も無く、だるくもなかったのですが。

 出発前に、散々注意するように言われていたので、注意に注意を払って、生水は飲まず、生野菜も食べず、氷やアイスも食べず、口を洗うときもミネラルウォーターでと徹底していたつもりでしたが、それでもダメでした。

 当初は、5日目スジャータ村へ行くときに食べた野生の豆のせいかとか、6日目のお昼のお弁当に入っていた卵にあたったんだとか考えておりました。ですので、食べた物が体から出てしまえばすぐに治ると思っていました。
 しかし、この下痢は日本に帰国してからも6日間続きました。1週間目にこれはあまりにおかしい、何かの病気かもしれないと思い、病院に行きました。すると、重度の腸炎という診断。腸がただれるようにあれていたようです。結局、シンプルにカレーなどの香辛料の取りすぎが原因だったと分かりました。お陰様で、処方箋のお薬を飲むと翌日一発で治りました。さすがの効き具合でした。

 思い返せば、3,4日目の日本食を除いて、ホントに食事の中心はカレーばっかりでした。普段、一月に1回も辛い物を食べない私の胃腸には刺激が強すぎたのだと思います。

 どれだけ注意して生水を口に入れなくても、インドに行く以上カレーは必ず食します。ということは、私にとってはインドと下痢とはセットなのかもしれません(汗)一月前からカレーを食べて胃腸を慣らしておくとか、大量の日本食を持参してインドカレーを食べないとか、病院で予め処方箋の薬をもらっておくとか、それなりに対応策は考えられますが…。



 結局、私だけではなく、教えて下さった方だけでも、参加者の半数以上が下痢をされていました。言わなかった人も含めるとおそらくほとんどの方が多かれ少なかれお腹を壊されていたと思います。青年会員も半数以上が壊しておりました。

 最後の最後、デリーから日本への飛行機の中で壊してしまったという方も結構おられました。これは機内で出してもらう氷入りの飲み物が原因だったはずです。街中と違って、非常に清潔な機内の氷も、帰りのはインドの水を凍らした物。油断したときに口にしてしまうから、機内の氷は一番注意するようにと言われていたのですが、安心感やら開放感やらで、案の定すっかり忘れて口にしてしまったのでした。やはり水も恐るべし…。

 海外での下痢を経験し思ったことは、原因は何であれ下痢はすると思って行く方が、しないでおこうと頑張っているより気は楽だということです。下痢もインドの旅の内!ダイエットにもなりますから(笑)



■終わりに

 上の話題が最後というのもどうかと思ったので、最後にこの旅を通じて一番感動的だった写真を再掲載しておきます(笑)


 霊鷲山からのご来光

 このインド仏跡参拝紀行文、当初はもっと早くに書き上げる予定をしておりました。しかし、結局は、完成までに約8ヶ月もかかってしまいました。それは、将来振り返ったときに自身がしっかり思い出せるようにという思いから、余計なこともたくさん書くようにしていたからです。だからこそ、この紀行文の作成に費やした膨大な時間も無駄では無かったと思うときが、必ず来ると信じています。

 言い方を変えれば、この旅は、これだけの時間をかけて将来に伝えたくなるほど、私に感動と刺激を与え、私を成長させてくれた、この上ない旅だったということです。

 このコラムが、「自身の記録」というものにとどまらず、いつかインドにお参りされる方の参考となれば、なお一層、嬉しく思います。そして、インドに参拝したくてもできない方が、このコラムをご覧になることで、少しだけでも行った気持ちになって頂けたのなら、それは大変有り難いことだと思っております。

 本当に長々と書いて参りましたが、最後までご覧下さった方々誠にありがとうございましたm(_ _)m


        インド仏跡参拝(H24.3.3~3.11)紀行文 完



 Amazon.co.jp
 ↑画像をクリックすると"インド"に関する書籍のリンクに飛びます。

○日蓮宗について

○お坊さんの呼び方

○お線香のあげ方

○お数珠について①

○お数珠について②

○お数珠について③

○御札の祀り方

○金封(のし袋)について

○「祈り」について

○花の供養について

○お灯明について

○お経本のご紹介

○大立寺のお盆①

○大立寺のお盆②

○「お膳」について

○塔婆について

○木魚と木鉦

○お仏壇について①

○お仏壇について②

○お墓について①

○お墓について②

○布施について

○お経とは

○インド仏跡参拝紀行文(1)

○インド仏跡参拝紀行文(2)

○インド仏跡参拝紀行文(3)

○インド仏跡参拝紀行文(4)

○インド仏跡参拝紀行文(5)

○インド仏跡参拝紀行文(6)

○インド仏跡参拝紀行文(7)

○インド仏跡参拝紀行文(8)

○インド仏跡参拝紀行文(9)

○インド仏跡参拝の旅 
 まとめ動画 


○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)

○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
  
— 背景画像 なし —

長唱山大立寺(だいりゅうじ) 
〒607-8008 京都市山科区安朱東海道町56 詳しくはこちら

レンサバ