日蓮宗長唱山大立寺
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コラム


平成24年10月作成

○インド仏跡参拝紀行文(8)



 インド全体図

■8日目(3月10日)

 いよいよ、インド最後の朝を迎えました。この日は少し遅めの起床で、8時前からの朝食でした。
 朝食へ行く途中、昨晩暗くて見えなかったホテルの全容が見えて、思わずカメラを構えてしまいました。まさしくインドの高級リゾート。映画に出てくるような場所でした。





 レストランも綺麗で、その場で調理してくれるコックさんがいてくれました。





 料理の種類も豊富で、飲み物、デザートも充実していました。参加者もみんないい顔をされており、旅の最後で少し贅沢な気分を味わわせていただきました。



 そして、このためだけに昨晩わざわざ6時間もバスに乗ったと言っても過言ではない、「タージマハル」の見学に出発。
 インドといえば「タージマハル」というくらい、テレビなどではよく目にする建物です。
 インド政府が、ここへの観光客の誘致に力を入れているようで、本気度が違いました。

 1983年にユネスコの世界文化遺産になっており、様々な禁止事項が掲げられていました。



 観光バスで行けるのはタージマハルから数キロ離れたところまでで、その駐車場からは電気自動車に乗り換えての移動になりました。排気ガスによる劣化を防ぐためだそうです。







 電気自動車を降りてしばらく歩くと、



 手荷物検査と入場チケットの確認をするゲートがありました。ここは厳しかったです。ホテルよりもずっと。検査しているのでそれで当たり前なのですが、これまで他の場所で受けてきた検査とあまりに違って、少々驚いてしまいました。



 皆さんが検査を終えるのを待って、いざメインゲートへ。昂まる気持ちを押さえてメインゲートをくぐろうとしたとき、その奥にタージマハル本廟が目に飛び込んできました。その瞬間、ゾクゾクッと久々に鳥肌が立ちました。



 ため息が出るほど素晴らしい光景でした。圧巻。自分の目で見ないと分からない、映像ではどうやっても伝えきれない壮大さ優美さでした。遠いところわざわざ訪れて、ホントに良かったと思いました。世界は、自分の想像をはるかに超える凄さに満ち満ちていると、思い知らされました。



 このタージマハル、先ほど本廟と書きましたように、実はお墓です。総大理石作りの…。
 今から約350年ほど前の1653年、当時インドを支配していたイスラム国家、ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンによって、戦場にも連れ出すほど溺愛してやまなかった王妃ムムターズ・マハルの死により、建てられたお墓です。
 22年という歳月と莫大な国費を使ってタージマハルを建てた後、シャー・ジャハーンが次に取りかかったのは自身のお墓の建立でした。タージマハルの後ろにあるヤムナー川を挟んで、今度は黒大理石作りのお墓を建て、さらにこの白と黒のお墓を大理石の橋で繋ぐという壮大な計画でした。しかし、この計画は、皇帝の三男、アウラングゼーブが、国家財政を圧迫した張本人、父シャー・ジャハーンを幽閉することによって中止されるのでした。そして、この幽閉された場所が次に訪れるアグラ城なのでした。



 記念撮影後、自由時間となり、写真を撮りながら、徐々に本廟に近付いていきました。



 どこから撮っても絵になりました。お墓を撮影するなんて少し不謹慎な気もしましたが撮らずにはおれませんでした。実際、本廟の中は、大理石のお棺が祀られているため、撮影禁止でした。余談ですが、写真はOKでしたが、敷地内を通してビデオの撮影は禁止されていました。理由は…、分かりません。



 土足禁止のため、入場時にもらった簡易の靴カバー(袋状になった不織布?製の物で、くるぶしの所で止まるように袋の上にゴムが付いている物)を付けて本廟に上がっていくと、高さ60メートルという大きさを目前にしてまたまた圧倒されてしまいました。近くに寄ると本廟の大理石の一つ一つに、緻密な彫刻が施されているのが分かりました。こりゃー、22年掛かるわと舌を巻きました。





 本廟に上がる場所がインド人と外国人で違っていました。これはどうやら入場料と関係しているようでした。インド人20ルピー、外国人750ルピー。高いッ。確かに分けないと外国人から不満が出るだろうなと思いましたが、インド人の方が少々遠回りだったものの大して行きやすさが変わるわけではありませんでした…。

 本廟の横には立派なモスク(イスラム教徒の礼拝施設、向かって左側)とミフマーン・カーナーという迎賓施設(向かって右側)もありました。


 モスク


 ミフマーン・カーナー







 掃除も行き届き全体的に綺麗で、欧米人も含めて、非常にたくさんの観光客が訪れていましたが、唯一残念だったのは、これだけの人数に対してトイレが一箇所しかないことでした。当然、長蛇の列ができていました。


 この奥に立派なトイレがありました。

 この付近では、お土産屋さんも小綺麗にされていて、店員もなかなかしゃれた格好をしていたように感じましたが、店員の物売りの仕方は全く同じでした…。これはもはや国民性?



 それから、インド最後の観光地、アグラ城へ向かいました。

 赤レンガでできた外観は、2日目に訪れたラール・キラーによく似ていました。今でも80%はインド軍の施設になっているほどの立派な城塞でした。







 門から中に入っていくと、外とは様子がだいぶ異なり、タージマハルと同じく白大理石をふんだんに使った建物や、草花でデコレートした庭園があり、まさに王宮という感じの開放感ときらびやかさがありました。





 タージマハルとアグラ城はセットの観光コースのようで、ここにもたくさんの観光客が訪れていました。掃除もしっかりされており、植木なども綺麗に整備されておりました。さすがお城。



 これは、大理石でできた皇帝用のお風呂です。下に何か敷いて入ったのでしょうか。深過ぎます…。



 そして下の写真が、シャー・ジャハーンが幽閉されていた場所、ムサンマン・ブルジュです。ここも総大理石で、当時では珍しい噴水まで備わっている建物です。いくら幽閉されたとはいえ、さすがは王様。この豪華な建物で、晩年の7年を過ごされたそうです。




 噴水(今は水は流れていない)



 ここからは、王様が見ていたであろう、お后様の眠るタージマハルを、今も遠くに見ることができました。





 このタージマハルを見ながら亡くなられたシャー・ジャハーン帝。息子アウラングゼーブもあまりに父が忍びないということで、実は、今では、タージマハルの中で、最愛のお后様と棺を並べて眠っています。



 最後にインドの歴史を肌で感じ、観光という点でも十分に満足できたこの旅も、残すところ帰るだけということになりました。

 その前に、まずは、「一番いいホテル」に戻って腹ごしらえ。昼食もやはり豪華でした。



 昼食後、これから24時間かかって日本に帰る長旅に備え、皆さん思い思いに、この素晴らしいホテルを味わいながらくつろいでおられました。「24時間」、改めて遠く離れた所に来ていたのだなあとしみじみ思いました。



 またも6時間かけてバスでデリーへ。そして休憩はやっぱり1回だけでした。
 トイレ休憩を終え出発という時に、バスがエンスト…。「押し掛け」をするというインドらしいハプニングも最後に経験できました。



 バスは寝て過ごすつもりだったのですが、これでインドも最後かと思うと何となくもったいなく感じてきて、「インド」を目に焼き付けておこうと、ずっと外を見ながら物思いにふけっていました。

 大きな国道を都会に向かって走っていくと、「街」の発展の様子がよく分かりました。テントを張っただけの八百屋やジャンク屋が立ち並ぶ市場から電光掲示板がチカチカするショッピングモールまで。掘っ立て小屋の密集するスラムから超高層マンションまで。都会には、地下鉄が走り、外国の高級外車ディーラーが並んでいました。

 牛の糞がそこかしこに落ち、ロバで移動していた所から、排気ガスで空が少し黄色くなっている所まで、この数日で一度に目にしたことで、改めて「格差」の大きさを感じました。

 諸外国は皆そうなのかもしれません。逆に日本が異常なのかもしれません。他と比べれば、日本人は総金持ちだと思います。奇跡的な国だと思うくらいです。

 インドには裕福な方が1割から2割いるそうです。人口は約12億人。日本人全員より多くの人が裕福だということです。これをどのように捕らえたらいいのか、そして国家はこの事態をどのように捕らえているのかと、一人一人の価値から、教育、経済、医療、政治まで色々と思案しておりました。

 そんなことを考えていたらあっという間にデリーの夕食会場に到着しました。



 時間は少ししかありませんでしたが、無事にここまで帰って来られたことに感謝してフェアウェルパーティー(お別れ会)を行いました。最後もやっぱりカレーでしたが(笑)、お酒も交えて美味しく頂きました。

 皆さんと行う最後の乾杯。皆さんとてもいい笑顔でした。





 この旅では人数が多かったので班を作りました。私は、C班の班長でありながら記録係でもありましたので、始終撮影に走り回っていて、あまり班の方と一緒にいられませんでした。旅の中盤からは、人数確認を班の方に行ってもらう始末…。

 こちらが世話になったにも関わらず、このパーティーの席で、班員の方から御礼にと紅茶を頂きました。感動。まとまりのあるいい班でした。おうおう(T―T)



 そして、最後のサプライズは、お誕生日祝い。



 3月生まれのお二人にケーキのプレゼント。9日も一緒に過ごしたので、みんな一つになってお二人を祝福しました。最後には、最高齢の参加者からご褒美のキッス!!



 ボルテージも最高潮になり、楽しいお別れ会を終えることになりました。

 こういう団体旅行の善し悪しは、日程もさることながら、長い間を共にする参加者にもよるとも言われます。今回の旅は、皆さん、仏跡参拝という一つの大きな目的を持って集まって下さった方々ばかり。ホントに皆さん素晴らしい方で、良い縁に恵まれた素晴らしい旅となりました。

 それから最後のバス移動で、午後8時半頃にデリー空港に到着。ここでインドのガイドさんお二人とはお別れとなりました。楽しい旅をありがとうございました!



 出国手続きを済ませ、いざ免税店へ。といっても私は特別何が欲しいわけではありませんでしたので、余った少しのルピーを全部使い切るため、お土産にカレーを買いました(笑)

 そして、ほぼ定刻の午後11時15分、いよいよ日本へ向けて飛び立ちました。


■9日目(3月11日)

 行きと同じルートで飛ぶこと約12時間半。大きな揺れを経験することもなく、無事日本に到着しました。

 私は、機内のモニターに映る日本の様子を見て、車1つにしても綺麗だと感激し、日本はやっぱりいい国だつくづく思いました。
 一方で、先輩は、日本には活気がないなと感じられたそうです。インドで見てきたような生きることへの必死さや、懸命さが感じられないと。豊かになりすぎた故の虚無感なのでしょうか。

 小難しいことを考えながらの帰国になりましたが、荷物の受け取りも入国手続きもスムーズに終わり、最後にもう一度全員集合。



 最後の人数確認をして、班別に写真撮影をし、

   

   

   

 解散式へ。



 9日間大きな事故も無くみんなで日本に帰ってくることができたことに改めて感謝を告げて、拍手の鳴り止まぬ中、皆さん笑顔の内に解散となりました。



 そして、帰る方向の同じ参加者と乗り合わせ、行きと同じMKスカイゲイトシャトルで自坊へ。上手い具合に私が一番遠かったため、皆さんご自宅まで無事帰られたのを見届けての帰宅となりました。

 ただいまーっ!!


>> 「余談」へ続く >>



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○日蓮宗について

○お坊さんの呼び方

○お線香のあげ方

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○お数珠について②

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○花の供養について

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○「お膳」について

○塔婆について

○木魚と木鉦

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○お経とは

○インド仏跡参拝紀行文(1)

○インド仏跡参拝紀行文(2)

○インド仏跡参拝紀行文(3)

○インド仏跡参拝紀行文(4)

○インド仏跡参拝紀行文(5)

○インド仏跡参拝紀行文(6)

○インド仏跡参拝紀行文(7)

○インド仏跡参拝紀行文(8)

○インド仏跡参拝紀行文(9)

○インド仏跡参拝の旅 
 まとめ動画 


○東日本大震災第三回忌に臨んで(前編)

○東日本大震災第三回忌に臨んで(後編)
  
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